「クルマは滑ることを前提にコントロールするんだ。だからクルマの滑りを<腰>で感じるための座り方があるんだよ」
ラリー経験者の患者さんのお言葉。
めっちゃ素晴らしいですね😆
で、聞いてみました。
「それを話して理解してもらったことありますか?」
即座に「ない!」とのこと。
そりゃ、そうですよね🤣 🤣 🤣
もちろん自動車の運転と武術では、具体的に必要とする技術は全く異なります。
でも、座り方という「基本動作を技術化」するという意味では、武術で身体技術を練るのと全く同じこと。
だから「滑りを腰で感じる」という言葉を自分ごとと捉えることができるんです。
武術をやっていても、攻撃技や防御技に気を取られて、基本動作に注目をしてない方が大勢いらっしゃいます。
そこで今回は、武術の基本動作の重要性をブログを投稿してみました!
武術をやっていなくても、自分の身体や技術との向き合い方に関心がある方は是非ご一読くださいね🤗
「自然体」を聞いたことがありますか?
武術には、自然体という言葉があります。これは一般の方が稽古を始める際に学ぶ「立ち方」または「姿勢」の基本として捉えられることが多いようです。
しかし私は武術に「自然体」という言葉が用意されていることの意味をもう少し追求したいと考えます。
つまり武術に「自然体」という言葉が用意されているということは、武術では「立ち方」や「姿勢」まで技術化する必要があることを教えてくれているのだと考えているのです。
攻撃や防御が武術の本質か?
武術ではついつい突き蹴りや投げ、もしくは剣の素振りなどの攻撃の技術や、受けなどの防御の技術こそが学ぶべき技術であると言われがちです。
しかしそうした攻撃や防御の技術の前提として、「立ち方」や「姿勢」の基本としての「自然体」という技術がある。
「立ち方」や「姿勢」を「自然体」という技術に至るまで追求する必要があると考えられるのです。
立って技をおこなう際には「立ち方」は常につきまとう問題です。
技をおこなっている際に立っていることが前提なのですから、「立ち方」を意識しないで、技は考えられる道理がありません。
技術としての基本動作
そうして自分の「姿勢」や「立ち方」が一歩でも半歩でも「自然体」に近づいたとき、攻撃や防御の技術もまた進歩を見せると考えた方が、実際には上達の早道だと考えているのです。
「姿勢」や「立ち方」が「自然体」に少しでも近づいたときには、当然「歩き方」も変化します。
では、武術では「歩き方」も技術として捉えているのでしょうか?
その通りです。
あなたは歩けていますか?
武術では「歩く姿が武である」という言葉があります。
この言葉は「歩けない人は武術家ではない」とも解釈できます。
でも、周りを見渡せば、多くの方が普通に歩いています。
ということは、このように普通に歩いている方も「武術家」と言えるのでしょうか?
もちろん答えはノーです。
歩き方からみる武術の本質
「立ち方」や「姿勢」を技術化したものが「自然体」だとすれば、「歩き方」をさらに技術化する世界も武術には当然、用意されているはずです。
それが「歩く姿が武である」という言葉に隠れていると考えられるのです。
であるとすれば、立ち方や歩き方を追求しない武術も、攻撃技や防御技もありえません。
当然、私が追い求める「合気」も同様です。
私が求める合気の基本
私見ですが「立ち方」や「歩き方」を追求しない「合気」はありえません。
いろいろな考え方があることはもちろん承知しています。
もしあなたが技術としての「合気」に関心をお持ちでしたら、まず「立ち方」「歩き方」などの基本動作をもう一度見直すことを、強くお勧めします。
私は身体コントロールを「ゆる体操」を含める高岡英夫氏の理論に学んでいますので、私の「立ち方」や「歩き方」の基本は「センター第3軸」です。
あなたにとっての基本は何ですか?
ぜひ教えてくださいね。