合気道がヤラセだったら気づけなかった大切なこと

体と動きが変わる健康づくり

みなさんは合気道という武道を聞いたことはありますか? まあ、私がやっていた(いる)のは合気道の基になったと言われている大東流合気柔術の方なのですが、合気道よりもっとご存知ない方が多いので普段は分かりやすく合気道と呼んでいます(笑って許してください!)。

私が大東流に入門したのは大学時代でした。幸いにも私が学生時代を過ごした街には武田時宗宗家の系列と松田敏美教授代理の系列と、2つの大東流の道場がありました。当初は2つとも通っていたのですが、途中で宗家の系列一本に絞り稽古を続けます。

そうした稽古を通して私が気付いたこととは?

なぜ合気道の技から身体へと関心が広がったのか?

今回はそんなお話です。

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素人にかからない合気道の技

もともと私は中学高校の頃から自然体だの柔能く剛を制すだのに関心を持っていました。だからと言って自ら進んで道場を探すわけでもなかったのですが漠然と興味だけはあったのです。一方その頃いろいろと読んでいたマンガの一つに「拳児」(松田隆智原作、藤原芳秀作画、小学館)がありました。実はこのマンガに「大東流合気柔術」の達人が登場します。

こんな達人が本当にいたら格好いいよな!」と憧れずにはいられないようなお年寄りだったのです。

「でもマンガだし、フィクションだよな」そう思っていた私は、運よく滑り込んだ大学で、この流派のサークルの名前を見つけて驚くことになるのです。

「本当にある武道の流派だったんだ…」

武道に関心を持っていたとはいえ、恵まれているとは到底言えない体格である私は、柔道や空手は最初から選択肢から除外していました。関心があったのは合気道だったのですが、それでもヤラセやダンス的な印象も拭い去ることもできず道場の門を叩くことにはためらいを感じていました。

しかし、このようなご縁があったのでは入門しないわけにはいきませんよね?

私が大東流に入門した当初に私が考えていたのは二つでした。一つは「合気道がヤラセもしくはダンスかどうか見極めがつくまではやめない」ということ。もう一つは「もし本当に達人がいる可能性があると思えたなら(自分が達人になれるとは思えないが)後陣に基本を残せるくらいまでは稽古をする」ということでした。

合気道というのは二人で組んで技を掛け合うというのが基本的な稽古スタイルになります。入門直後は師範や先輩が技を受けてくれるのですが、技が形になるように動きを作ってくれます。ですので当時は「先生とか先輩相手だと(曲がりなりにも)技がかかるけど、合気道の動きを知らない方には技がかかるとは思えない」と感じていました。

当時は行きたくないのにあまり無理すると合気道がイヤになってしまうのを避けたかったので、適度に休みを取りながら稽古に通っていました。ですので、なおさら上達もゆっくりだったと思います(笑)

合気道の技を創る

実は合気道と大東流で稽古内容が違うのはもちろん、合気道と大東流も細かく系列が分かれ、そのそれぞれで技の内容や質もかなり異なっています。その頃私が通っていた道場はというと、入門者がかける技の動きを引き出すために師範や先輩が技を作ってくれることはありますが、全体の方向としては師範や先輩は闇雲に技にかかるのではなく、抵抗しつつ技にかけられるといったものでした。言い方を換えれば技を受ける方が自分から倒れてくれない分、技をかける方も丁寧に技を創ることが求められる道場でした。

ところが大東流も含めた合気道系の流派の中には、入門者を相手に技を引き出すような技の掛け合いを経験ある練習生同士でなあなあで稽古をしていたり、演武用に技を華麗に見せる(魅せる)ことに主眼を置いた稽古をしていたりするところがないとは言えません。合気道系武道には技術的にも人間関係にも「円」を強調する傾向があるためか、稽古で技をつくる時にも「仲良く」という意識が生まれやすいのかも知れません。

「円」が「愛と和合」の母になるとしたら、これは大変に価値のあることであろう。(中略)

しかるに「円」の効果は、あらゆる方向においてプラスなのであろうか。無論この答えは否であると考える。(中略)

「円」で何でも説明するあまり、広大で深遠なる身体意識の世界を稽古対象としてとり入れ、その上達にとり組むことがおろそかになるとしたら、その被害は修行生にとってあまりにも甚大なものになるであろう。つまりは「円」にこだわることは、一方では上達ということにおいて明らかにマイナスになると、考えられるのである。

「合気・奇跡の解読」高岡英夫著、ベースボールマガジン社、p46-47、2005

ぶっちゃけて言えば「みんなと仲良く」ということではなくて「技を創る」ことを重要視するのなら(もちろん「みんなと仲良く」も大事だけども)別のやり方も考えなくてはダメですよと、そういう風に解釈しています。

そして「技を創る」ということを考えるなら、当時の私は非常に恵まれた環境にいたと今でも思うのです。

合気道の上達に必要なのは筋力ではなかった!

そして数年経った頃ようやく転機が訪れます。この頃の変化は大小含めていろいろあるのですが、だらだらお話しても仕方がないのでここでは一つだけお話します。

縦締(たてじめ、二ヶ条極め、二教)と呼ばれる相手の手首にかける関節技があります。その頃は手首に強く意識を置いて相手を痛めつけることばかりを考えていたのですが師範のようにはきめられません。どうしたらもっと気持ちよく技がかかるのかああでもない、こうでもないと考えていた時、ふと「相手の全身を円筒に見立ててみたらどうだろう?」と思いついたのです。円筒を一番効率よく倒すためにはどういう軌道で動くのが良いのか、スプレー缶を動かしたりしながら考え続けました。

そして稽古の日。実際に相手の体を円筒に見立てて縦締の型をおこなうとこれまでと比較すれば驚くほど力感を伴わずに技をきめることができたのです。

当時の私の技術では物理学的にはテコやベクトルなどを応用した技がやっとでしたから、今から考えれば技術的には吹けば飛ぶ程度のレベルのものでした。それでもこの時まで技らしい技を身に付けることができていなかった私にとっては初めて「技術」と呼びたい気付きでした。

この話が示唆するところはいくつかあります。一つは体の感覚が変わると技がその場で変わるということです。真剣に体の感覚を研ぎ澄ましてその体の感覚を変化させてあげると技の効きが変わるのです。その場で変化するのですから筋力とかストレッチの効用でないことは明らかです。この時から私は合気道の稽古に筋トレをおこなうことはやめました。より正確には「合気道の技術を落とさないで筋トレができるようになるまで筋トレは一時停止」にしました。

もう一つは一人稽古をおこなうからこそ道場での稽古が活きてくるということです。先程の円筒でもそうですが、この気付きは縦締だけでなく他の技にも応用できる部分が少なくありません。極論を言えば、一つ気付けばこれまでおこなっていた全ての技や型を検証し直す(再構築する)必要があります。一つの気付きで全てが変わってしまうのです。であるなら、立ち方や歩き方を含めた一見小さいと思われる体の変化一つ起こったなら自分の中の合気道の体系を全て作り直す必要が出てくるのです。そのために一人稽古が重要な意味を持ってくるのです。

自分の身体により深く目を向けるようになったのもこの頃からです。より自分が目指すような技の変化が生じるように自分の身体をつくること。身体の変化が技の変化。この向こうに「歩く姿が武道なり」という言葉の意味が見えてきそうな気がしています。そしてこの気付きは今では東洋医学やセルフケアはもちろん他分野の文化を考察する際の礎にもなっています。

楽しさと継続を武器にして

それからです。私が身を入れて稽古をするようになったのは。

だって、このような身体の変化を積み重ねていったら「拳児」に出てきた達人のようになれる(かも知れない)んですから!

才能がないのは百も承知。最近はもっぱら一人稽古のみですが、それでも牛や亀のように歩みは鈍くても楽しさと継続することだけを武器にしてここまで来ました。続けていれば、気付けたことも積み重ねてきたことも少なからずあります。 それは合気道の技術のことはもちろんですが、身体やセルフケアについても同じことです。身体が変われば、技も、合気道も、セルフケアも変わるのです。

今では入門当時なぜ技が効く相手、効かない相手がいたのかもよく分かるようになりました。技の形を作るために相手が協力してくれなくても、技をかける側が技の流れを作れるまで上達しなくてはならなかったのです。そのような技を身につけられるような稽古を積んできているかどうかが全てなんです。

大事なのは合気道がヤラセかどうかではなくて、その人がどこまで稽古を積んでいるかですよね。

そんなこんなで身体についての関心が高じて西洋医学より東洋医学への興味が募り、果ては鍼灸マッサージ師や柔道整復師の資格まで取ってしまうのですが、それはまた別のお話。ただ長い積み重ねが毎日患者さんと向き合う中でも間違いなく活きているということは、ここに記しておきたいと思います。

いつかもっともっと年をとった時、身体が、合気道がどこまでいけるのかそれを楽しみに今日も地味に稽古を続けています(笑)

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