ゆる体操は胡散臭い?身体意識を理解する2つの方法(前編)

体と動きが変わる健康づくり

ゆる体操は丁寧にやれば、体の気持ち良さや動きの変化を感じやすいシンプルな運動です。

はじめ院長
はじめ院長

健康のためにゆる体操をやるなら、この体の気持ち良さや動きの変化を大事にしながら続けるだけで十分だと個人的には考えています。

ところが、ゆる体操には身体意識という考え方がバックボーンとして存在しています。この身体意識という考え方が理解できないと胡散臭いという印象を持ってしまいがちです。

はじめ院長
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実は何を隠そう、私自身も胡散臭いという印象を抱いていた一人です(笑)

自分自身が胡散臭いと感じていたからこそお話しできることをこの記事では書いていこうと思います!

ゆる体操を胡散臭く感じる理由とは?

先程も触れましたが、ゆる体操は身体意識というバックボーンを持っています。

この身体意識という考え方が体で納得できないと、胡散臭さが消えないでしょう。

例えば動画でゆる体操の動きだけを確認すると「ただ体をゆるめくねらせているだけで何の意味があるんだろう」という感想を持つかも知れません。

また、ゆる体操の創始者である高岡英夫師の著作などで身体意識という考え方を知った方は、体を通さず理論から入ろうとしているのでやはり難解です。高岡師はかなり言葉を吟味して著作を書いておられますが、文章から理解するのは難しいと思います。

はじめ院長
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では、私自身はどうだったかと言いますと……

はじめ院長とゆる体操が出会ったきっかけ

こちらの記事でも軽く触れていますが、身体意識というところまでお話をしようとすると、もう少し詳しく私とゆる体操が出会うきっかけについてお話しした方が分かりやすいかも知れません。

合気上げを通して気付いた体の使い方

上でご紹介した記事にこんな一文があります。

合気道(大東流)を稽古する過程で技術の上達(レベルアップ)には「感覚や意識のようなものが決定的に重要だ」

https://hajime-hariq.com/12399492/
はじめ院長
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私の身体意識の体験を語るのにどうしても必要なので、この内容について上記の記事よりも詳しくお話しします。

私は、私が25年ほど前に通っていた合気柔術の道場は、あまり合気上げを重視していない流派でした。それはそれで学ぶことは山ほどありましたが、合気上げという稽古法への興味も募っていきました。

武道に関心のない方のための合気上げについての解説
合気道に近い流派で重視される稽古法の一つが合気上げです。典型的な具体例としては、正座で相対した相手に掴まれた手首を介して極力筋力的な力を排して反撃する(掴まれた手首を上げる、相手を投げる)という稽古をします。

合気柔術の稽古を始めて数年経った頃、幸いにも合気上げの稽古法を学ぶ機会に恵まれました。

ただ学んだは良いのですが、別の道場の稽古法でしたので普段通っている道場で稽古するわけにはいきません。そこで鏡の前で相手に掴まれたことを想定しながら一人稽古をする日々でした。

はじめ院長
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そんな一人稽古を続けて数ヶ月〜半年ほど過ぎた頃だったと思います。体の使い方に変化が生まれました。それは主観的な表現としては手や腕は使わずに自分の肩から相手の肩へ直接力を伝えるというものでした。

このとき手や腕は力の通り道でしかありません。手や腕を緊張させてしまうと力が滞るので、できるだけ脱力させます。すると自分の肩から相手の肩へ直接力を伝えることができたのです。

そして、この「肩から肩へ直接伝える」という体の使い方が大きなポイントです。あとでもう一度出てきますので軽く覚えておいてください。

このコツを掴んでから、当時別の武道を学んでいた友人を相手に試してみると、やはりこれまでとは全く違う感覚で合気上げができました。

はじめ院長
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予め一つ断っておきますが「これが合気上げだ!」なんて言うつもりは全くありません。

この体の使い方は拙いながらも、ゆる体操から考える合気上げの方向性(支点揺動や中次合気)としては間違っていなかったと確信しています。しかし、あれから20年も25年も過ぎれば、私の合気上げは全く別の技術となっていますし、それでもまだまだ未熟さを痛感しているのです。

支点揺動や中次合気がイメージできないとイヤだいう方は、以下の書籍に当たってみてください。すでに絶版となっておりますが、古書でしたら入手可能です。

はじめ院長
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ここで押さえておいていただきたいのは体の使い方が変わったことで、合気上げの結果としてのパフォーマンスが根本から変わったという事実です。

まだまだ晴れない胡散臭さ

このような過程を経て、技術の習得には筋力やストレッチではなく「感覚や意識のようなものが決定的に重要だ」という先程の結論に至りました。

そんな中で高岡英夫師の著作に出会いました。しかし高岡師の初期の理論整然とした著作と比べて、一見怪しい身体意識図(当時のディレクトシステム図)が頭の中で繋がらず、胡散臭さが晴れることもなく戸惑いは増すばかりでした。

ただ身体のリラックスとバランスが重要だという点は、稽古を通して自分が感じていた方向性と合致しているようでした。

当時、高岡英夫師は「動きの極意を教える」という講座を関東地方で開催していましたが、まだ怪しさに対する怖さも拭えず、当時北海道在住だったことも重なってすぐに参加する気にはなれませんでした。

そこで、市販されていた入門編のビデオ「達人セット」を購入して見様見真似で始めたのが、私のゆる体操の始まりです。

はじめ院長
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当時は今のゆる体操で言うところの基礎ゆるしかない時代でした(笑)

その達人セットを数ヶ月続けて、当時高岡英夫師が主宰していた運動科学研究所に手紙を出してみました。そして当時のスタッフから丁寧なお電話をいただいて、怪しさを拭い切れないながらも講座に参加する決意をしたのです。

おっかなびっくりで、ゆる体操の講座に参加してみた

当時は、まだゆる体操という体系はできていませんでしたので、正確には「動きの極意を教える初級第一教程」の合宿に参加しました。覚書には1997年10月18〜19日とあります。

その講座の一つにベストというカリキュラムがあり、そのベストにパルトというワークがありました。初めてやったそのパルトというワークが私にとって大きなポイントだったのです。

ベストやパルトがイメージできないとイヤだいう方は、以下の書籍に当たってみてください。すでに絶版となっておりますが、古書でしたら入手可能です。

そのパルトの講習中、高岡先生が「パルトができかかっている方がいますね」と発言されました。

このときの講座では6種類のカリキュラムがあり、教えていただいたワークは10種以上ありました。しかしその場で体で分かった、満足に理解できたと感じられたワークは実はほとんどありませんでした。

ですから、パルトができかかっている受講生がいるのでしたら、是非その方の動きを参考にさせていただきたいと思って周りを見回したのです。

そしてもう一度高岡先生の視線の方向を確認しようと、高岡先生を確認しました。すると……

高岡英夫先生と目が合う

はじめ院長
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なんか高岡先生と目が合う気がするわけですよ。

とりあえず、私の近くにいる方かと思って近場を見回して、もう一度高岡先生の視線を確認する……

やはり目が合う……

確かに、ほとんどが難しいと感じていた講座のワークの中で、唯一このパルトだけは「あはは、これ面白い! 気持ち良い!」と実感することができたのです。そこでハッと思い当たりました。

合気上げで実感した「肩から肩へ直接力を伝える」動きは、このパルトの動きだったのではないかと思い浮かんだんです。

はじめ院長
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正直、高岡先生の視線が本当に自分に向いていたかどうかは定かではありません。でもそう考えると腑に落ちる点が多かったのです。

全身の力を抜いて自然体をつくったとき感じたこと

鏡の前での合気上げと併行してやっていた稽古がもう一つあります。それは、自然体をつくるために、鏡の前でただ立つという稽古です。ただし可能な限り体の力を抜いてただ立つのです。

はじめ院長
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やっている人間にとってはかなりハードですが、見た目は本当に地味な稽古!(汗)

そんな稽古をしていたときに、不意に体幹の中が透明になっていくような、抜けていくような感覚が生まれました。

生まれて初めてのとても気持ち良い感覚でした。

「おお! これが正中線か?!」

と思ったのですが、何かがおかしい。

はじめ院長
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私がこのときに感じたのは正中「線」ではなく茶筒のような円筒状で、しかも体内にとどまり、体の外に上下に伸びていく感じは一切なかったのです。

その感覚の正体はしばらくは分からなかったのですが、あるとき不意に高岡先生の著作の文章が頭に浮かんできて自分なりに納得できたのです。

感じたのはスティフルクラムだった!

それはスティフルクラムという名前がついている身体意識です。このスティフルクラムという身体意識を感じたという方のお話が「極意と人間」という本の中に出てきます。

先程のパルトのように良い体の使い方なら多少は格好良いのですが、スティフルクラムは違います。

スティフルクラム 人間の最大特徴ともいえる直立二足歩行を実現するための、身体を拘束する固い身体意識の柱。恒常的に不安定である直立状態において身体を安定させるが、自由な運動や認識を阻害する作用もある。

「極意と人間」P87、高岡英夫著、BABジャパン、2000年

フリーフルクラム 直立二足歩行を実現するための、人間の身体を拘束する固い身体意識の柱(スティフルクラム)が外れ、身体の重心落下線と支持線の絶妙な絡み合いが行われている状態のディレクトシステム。センターと共に最重要のディレクトシステムを構成する。名人・達人は常にこの状態にあり、身心ともに融通無碍の境地が実現される。

「極意と人間」P43、高岡英夫著、BABジャパン、2000年

私が感じたのは体を覆うほどの直径ではないにしても、口径10〜15cmくらいで自分の身長と同程度の長さの筒状の感覚。

つまり自由な動きや認識を阻害するスティフルクラムだったと考えられます。これが天地に伸びる正中線を感じられたというのでしたら「フリーフルクラムか?!」と言えたのですが、そんなに甘いものではありません。

はじめ院長
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そして私自身は名人や達人には程遠い凡人であることを改めて痛感することになったのです(涙)

ただし、パルトやスティフルクラムを実感できたことは、私にとってとても大きなヒントになりました。

ゆる体操を理解する正攻法とは?

ここまでのポイントは2つ!>
  • 肩から肩へ直接力を伝える体の使い方はパルトと関係しているかも
  • 自然体の練習で体内に感じた筒状の感覚はスティフルクラムかも
はじめ院長
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私が幸せだったのは、これら2つを高岡英夫師の理論を知る前に体験できたことです。

私はこれらの体験を理解しようとして資料や文献を漁り、身体意識という考え方に出会いました。

これらの体験を説明するのに身体意識以上の考え方に出会えていない以上、現時点の私にはゆる体操や身体意識という考え方を否定するという選択肢はありません

そのような体験をしてきた私からすると、ゆる体操や身体意識を理解する一番真っ当な方法は、体で実感することだと断言できます。

ゆる体操や身体意識を胡散臭く感じる決定的な理由

Image by lubovlisitsa from Pixabay

ゆる体操や身体意識を始めから理論や理屈で理解しようとすると、ほとんどの場合には本質から外れていくようです。

ゆる体操や身体意識を理解しようとするなら、体や動きの質の変化を実感できるまで稽古やトレーニングをおこなうことが間違いなく正面突破の正攻法でしょう。

量質転化でも良いですし、最初からリラクセーションとバランスを意識するトレーニングでも良いでしょう。

また質の高い2種の運動を組み合わせておこなうと、最初の運動の動きの変化が実感しやすくなることがあります。そのような稽古やトレーニングを積み重ねると、体や動きの質の変化というのは格段に感じやすくなります。

ゆる体操や身体意識を本気で納得したいのなら、まずはそのような体や動きの質の変化を実感されるまで稽古やトレーニングをおこなうことがおすすめです。資料や文献で理論的に学ぶのはその後でも全然遅くはありません。

はじめ院長
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ここまで考察が進むと、ゆる体操や身体意識という考え方を胡散臭く感じた理由は、ゆる体操や身体意識を理解できるまで自分の体を開発できていないからという可能性が出てきます。簡単に言えば、トレーニング不足です。

このような身体や動きの質の変化を実感しやすいオンラインの体操教室をご用意しています。関心のある方は今すぐご確認ください!

真贋が判断できるまで続けてみることに

Image by johnhain from Pixabay

ここに至っても私としては、ゆる体操や身体意識という考え方は、お宝の可能性もあるし、紛い物の可能性も拭いきれない、諸刃の剣的なイメージでした。

特に問題は、スティフルクラムの方ですね。

ゆる体操ではスティフルクラムは悪い体の使い方の代表として捉えられています。つまり当時の私のレベルというのはその程度だったということです。

はじめ院長
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ということは自分が望むレベルまで上達するためには、よほど本腰を入れて稽古をしないといけません。

この時点で私は騙されてもいいから真贋が判断できるまではゆる体操や身体意識の稽古を真剣に続けてみようと決意しました。自己流で闇雲に稽古を続けるより、宝物の可能性があってしかも体系ができているトレーニングの方が道が開けるのではないかと考えたからです。

スティフルクラムの傾向が強かった私にはもちろん正中線・センターの実感はありませんでした。その意味ではゆる体操やトレーニング法という手がかりはあるにしても、やはり手探りで進ことになります。

結果として、ゆる体操や身体意識のトレーニングを20年、25年続けることになりましたが、やってきて良かったなと今では思います。

ゆる体操を理解するもう一つの方法とは?

ゆる体操や身体意識を理解するための正攻法は体での実感を積み重ねていくことだとやっぱり思います。

しかし、20年も25年もゆる体操や身体意識に取り組んでいると、正攻法ではない説明方法も浮かんでくるものです。

ここでは「夢」という言葉をキーワードに考えていきたいと思います。

当たり前の話ですが寝ているときにみる夢というのは、自分以外の人間にはどのような夢を見ているのか分かりません。

寝ているときに本当に「夢をみる」という現象が起こっているのかどうか分からないんです。

分からないのに、寝ているときに「夢をみる」ことは普通に起こりうるとみんな考えているわけです。

はじめ院長
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これは何故でしょうか? 続きは後編で!

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