もしもあなたが筋トレやストレッチで身体との向き合い方を満足されているなら、この投稿は読まないでください。
「筋肉は裏切らない」
最近よく聞きますが、私は筋肉に裏切られたことがあります。
もう30年も前のことになりますが、当時は筋トレをしていたり、筋線維のタイプや筋肉への神経からの信号の伝達を研究をしていたりしていました。
この方向ではダメだ。
それに気づいた時点で、条件付きですが筋トレをすっぱりやめてしまいました。
今でははっきりあのときの自分の判断は自分にとっては正解だったと自信を持って言えますが、当時は筋トレをやめることが不安で仕方がありませんでした。
だって、運動の際に頼れるものを手放すということですから。
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でもそのときの決断のおかげで、才能のかけらもないこの私が
フロー状態を経験できたり、
話を聞いただけで高度と言われる技術を練習なしでその場で再現できたり、
50代を目前にした今でも上達を楽しめたりと、
いろいろな経験をすることができました。
何故こんなことになったのでしょうか?
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先にお話ししておきますが、筋肉は大事ですよ。バイオメカニクスも絶対に必要です。
それなのになぜ筋トレを手放したのでしょうか?
それは筋トレやバイオメカニクスでは、自分が追い求める身体や運動技術を身につけることができないことが分かってしまったから。
むしろ弊害になることさえあることに気づいてしまったから。
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では自分が身につけたい身体技術とは、どんな運動だったのでしょうか?
それは、年取って老いてもなお若い人たちが追いつけないような武術の達人の技です。
「おい! 小説とか時代劇の話かよ?!」
だって、おじいちゃんが若い人たちをやっつけるとかめっちゃ格好良くないですか?🤣
そんなシニアの方々は若い人たちと比べると、筋力的には間違いなく劣っています。
それなのに稽古では圧倒してしまうということは、筋力ではない部分に注目するしかないじゃないですか🤣🤣🤣
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そういう技術を身につけるためには、感覚や意識にまで踏み込んで、より精緻に身体やバランスに向き合う必要があります。
しかし筋肉の収縮を強くしようとし過ぎると、筋肉に感覚が引っ張られて、他の感覚が疎かになってしまいやすいんです。
つまり筋トレが稽古の邪魔をすることがあるんですね。
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さらにバイオメカニクスを手掛かりにしても、実際に技術の習得する過程ではやはり感覚や意識を手掛かりにすることが絶対に必要です。
同じ過程が必要なんですね。
さらにバイオメカニクスではもう一つ問題があります。
それは、液体と固体を行ったり来たりするような身体運動は、今のバイオメカニクスでは表現=分析しにくいんですね。
相転移の前後の状態は物理学で表現しにくいのと同様です。
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「それは武術だからではないの?」
そう仰りたい気持ちは分かります。
その側面があることは認めます。でも。
武術には、立つという姿勢について「自然体」という言葉があります。
「歩く姿が武である」なんて言葉もあります。
これは、立つとか歩くとかいうごく一般的な基本動作すらも<技術化>する必要がある、「技術化」できることを意味しています。
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稽古でおこなう型とか、試合に勝つ技とか、そういうものだけが「武術」という訳ではないんですね。
より自由に動くための立ち方や歩き方、座り方だって、十分に武術的になりうる訳です。
よりバランスよく滑らかに動けるような立ち方や歩き方、座り方。
こういう「理に適った基本動作」は、あなたのお役には立てませんか?
例えば。
姿勢が悪くて体が痛くなってしまって、歩くのが難しい方。
スポーツでケガせずに、もっと自由に動けるようになりたい方。
楽器などでもっと表現の幅を広げたい方。
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そう!
つまり「私は武術をやってないから」とか考える必要は全くないんですね。
だって運動の種類に限らず、人の身体は共通ですから!
歌を歌うという運動、寝るという運動、本を読むという運動、字を書くという運動。
人と話すのも、コミュニケーションをとるのも運動ですね。
日常の基本動作だろうが、あなたの専門分野だろうが、武術だろうが、分けて考える必要はありません。
身体という視点から見ることで、共通の土台から見通すことができるんです。
もしあなたがこれまで筋肉を鍛えてこられたとすれば、バランスで身体をコントロールすることを学べば、単純計算であなたの可能性は2倍になります。
組み合わせを考えれば、さらに可能性は広がります。
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そういう目で身体を見てみると、またご自分の可能性を広げるヒントとなるかと思い、お話して見ました!
あなたはスポーツやお稽古事を通して、身体や運動について何か気づかれたことはありますか?
ぜひ教えてください!