身体技術の進化とマインドフルネスの融合

体と動きが変わる健康づくり

「弱いものは強くなることはあるかも知れないけど、元々ないもの、ゼロなものをいくら強くしようとしても、ないんだから強くなりようがない」

これ、リハビリの先生に「筋力が弱くなっている部分を筋トレしましょう」と言われて一生懸命筋トレをやろうとしたけど、その筋トレの動きそのものができなくて気持ちが折れてしまったある患者さんの言葉です。

この言葉を聞いて、私は「ん?」と思ったんですね。

ここには大事な何かが隠れていると。

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施術が終了して、リハビリの定義を某ChatGPT(←つい最近使い始めました🤣)に聞いてみました。

リハビリテーションとは「病気やけが、または身体的・精神的な障害によって制限された個人が、機能や能力を最大限に回復し、日常生活や社会参加を改善するためのプロセス」とのこと。

つまりリハビリテーションとは「弱くなった機能や能力を元の強さに戻すことが目標」と解釈して差し支えなさそうですね。

なるほど〜。

おかげで、私自身リハビリという考え方が腑に落ちなかった理由が見えてきました。

どういうことでしょうか。

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私の根っこにあるのは、自分が希求してやまない武術の技術に、死ぬまでに一歩でも近づきたいという想いです。

その際に重要になるのは次の3つ+1のステップ。

1)自分が知らず身につけてしまっている自分の動きを邪魔する余計な疲労や緊張を取り除くこと

2)自分に存在しないもしくは成長の過程で消し去ってしまった、今の自分に必要な身体技術を身につけるということ

3)新しく身につけた不安定な技術を定着させ、育てること

4)次のステップが見えてきたら改めて1〜3を繰り返すこと

このプロセスでは「1に何をかけるか」という話ではなくて、「いかにゼロを1」にするかという1〜2のステップが極めて重要になります。

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改めて振り返ると、私自身はそもそもの原点において「自分が持っていないものをどのように身につけるか?」という発想から始まっていたということが見えてきました。

だから「80代女性が筋トレなしで杖を手放せた」ようなことも、「初期の膝関節の痛みが、重心のバランスだけで軽くなる」というようなことも起こってきたんですね。

そりゃ、「弱くなっているものをもう一度強くする」というリハビリの考え方が、自分では今一つ腑に落ちないワケです😅

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始めたてで楽しいのでまたChatGPTに聞いてみる。

「プログラムを書き換えるように身体技術を再構成し、応用や発展まで見据えた言葉は何か?」

なるほど、エンハンスメント。

ボディエンハンスメントまたは身体エンハンスメント。

リハビリに変わる言葉として自分が使う言葉としては良いアイデアかも😆

ありがとう! ChatGPT!

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この患者さんにとって、ご自分にない身体技術を発見して習得するという過程は極めて「創造的」なプロセスになるはずです。

だからこそ、ゼロが1でも0.1でもなったとき、この患者さんは必ずご自分のどこかに改めて自信を見出すことになるでしょう。

上手にサポートできるように精進します!🤣

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さらに武術では、生命を賭した勝負の場で、いかに平常心を保つかというマインドの問題を突き詰めて考える必要があります。

だからこそ数年おきに宮本武蔵の五輪書のブームがやってくるのですが。

精神の問題とする向きもありますが、この精神の問題は必要となる身体技術がなければどれほどマインドを整えようとしても、納得のいく成果が見えてくることはありません。

それだけ身体とココロというのは関連しているんですね。

そう、自分の身体に向き合うということは、自分の精神やマインドにも向き合うことと同義なのです。

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「教えるは学ぶことの半ばなり」

かつて武術の師匠にいただいた言葉です。

今は一人稽古が主体で久しく道場には通えておりませんが、この患者さんのおかげで改めてこの言葉を噛み締める機会をいただきました。

あなたも、思いがけない場で新しい発見に気づいたことはありますか?

もしあればぜひ教えてくださいね🤗

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